Life goes on ~人生は続く~の感想!

クトゥルフ神話TRPG『Life goes on 〜人生は続く〜』の内容を多分に含むコンテンツです。
『Life goes on 〜人生は続く〜』をプレイ済、視聴済の方以外の閲覧はお勧めしません。

『Life goes on 〜人生は続く〜』

セッション日

2022年10月23日

KP

PL

  • 西園寺 鈴音/よぴちゃん
  • 白井 真子/しば

感想

 鈴音は自分を投射したようなPCで、各シーンでのRPや決断は「いやこのキャラは〜」みたいな余計な感情を挟むことなくLGOをプレイできた。それ故にシナリオに対する没入度合いも半端ではなかった。ゆずかが鈴音への爆発ダメージを肩代わりしたシーン、意識が薄れていく中にかけられた「生きて・・・・」ということば、悪夢の中にかけられた「わたしはもうダメだけど、みなさんは生きてください」ということば。ゆずかの死を思わせるシーンは心にくるものがあった。

 病院内で渡先生からゆずかは死亡したと告げられたシーン、ゆずかは本当に死んだのか探るようなRPに専念するようにした。PL目線でもゆずかは魅力的に映っており、仮に死んでいたとしても打つ手立てがないか全力で探したかった。

 想いは届かず、地下水路でゆずかの変わり果てた姿を見る。事前に院長室で情報を得ていたとはいえ、見るに耐えない姿に咽び泣くゆずかの顔面、なぜこんな姿にさせられたのか。渡先生はこんなことをして何も感じていないのか、こんな姿で生かすのは命に対する冒涜だ、いろんな感情が交錯していた。

 こんなことまでしておいて当の渡先生は「煮るなり焼くなり好きにしろ」といった態度だ。疑問でしかない。自分が作り出した精霊、おそらく渡先生の妻が取り込まれているであろうこの精霊を、俺たちの判断でどうにかしろ?あまりに傲慢じゃないか。まるで渡先生の罪を私たちに転嫁しようとしているかのようだ。この精霊に対する自分の信念はないのか、精霊と共に渡先生も一緒に葬ってやろうか。こんな治療法で助かったこの体共に。

 実験ファイルをみて気が変わる。渡先生自身が多くの人を助けようと懸命になっていることを理解した。救えない命なら、他の命を救うために精霊化してしまおう。ただし、命のリサイクルとも言える手法異論がない訳じゃない。
命の冒涜だという気持ちも変わらない。しかし、精霊に救われた命がたくさんある以上、私たちの判断で精霊を殺すことはそれこそ傲慢なんじゃないか?

 爆発後の意識が薄れるなか、ゆずかにかけられた「生きて・・・・」ということば、悪夢の中にかけられた「わたしはもうダメだけど、みなさんは生きてください」ということばを思い出す。
ゆずかにとっても自分の命と引き換えに私たちが助かるならそれが本望なんじゃないのか?私だって死にたくない。真子にだって死んでほしくない。自ら最初の犠牲になる決断をした渡先生妻の意思を蔑ろにするんじゃないか。そう思うとやはり精霊を葬る決断はできなかった。

 セッション後、心にはまだしこりが残っていた。あの精霊を生かす殺すを私たちだけで判断してよかったのか?本当は殺した方が良かったんじゃないか?決断を先延ばしにした方が良かったんじゃないのか?然るべき機関に通報したほうがよかったんじゃないか?
渡先生の行為は倫理的に正しいとは思えない。ただ、そこに至る経緯を見ると、渡先生を一方的に悪と判断することもできない。

 LGOは難しい決断を私に要求した。自分が下した決断を正しいとは思えない。毎晩ゆずかの咽び泣く声と涙を流す顔を思い出し、悪夢にうなされながら自らの決断を後悔するだろう。
それでも回り出してしまった歯車を今更自ら止めることもできない。

『Life goes on〜人生は続く〜』